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inu1941-1966:

筒井康隆 時をかける少女

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4/22付 朝日新聞 夕刊

不器用に笑い求める
桂枝雀さんの思い出 米朝師匠が語る

もとから小柄な桂米朝さんが、いつもよりひと回り小さく見えた。十九日に桂枝雀さんが亡くなり、めったに口にしないコーヒーを無性に飲みたくなったという。「二十代のころから、落語論ばかり、ふっかけられた」という愛弟子の思い出を、米朝さんに語ってもらった。

入門当時の枝雀は、珍妙な表情とオーバーな話し方で演じるのが落語だと思っていた。「普通の話し方でだんだん面白くなっていくのが落語なんやで」と言ったら、目からうろこが落ちたと言っていました。
内弟子時代には、掃除機をかけながら夢中でネタ繰り(練習)をし、家中のガラスを割ってしまったことがあります。子守りを頼むと、乳母車を押しながらネタ繰りに没頭して、子どもが泣くと「やかましいっ」と怒鳴りつけるものだから、見かねた近所の人が注意したほど。家にあった初代春団治の落語レコードを聞いて、ひとりでげらげら笑っていることもあった。頭がいいので「面白さ」の理解が早い。ネタも二、三回教えるとすぐ覚える。内弟子は二年で卒業させました。

●とことん落語討論

入門から五、六年もすると「落語というものを悟りました」と言ってくるようになりました。東京落語でサゲ(オチ)の分類をしたものがあるが、あれは非科学的でいい加減です、私のは心理学的にきっちり分類できます、と言う。「じゃこれはどうだ」とたずねると「あーそれは・・・・・」と言葉に詰まり、「もういっぺん、考えてみます。」と帰っていく。と、夜中に突然電話してきて「今から行ってもよろしか。一つ、悟りをひらきました」。
こちらもまだ四十代だし、落語について討論できる相手は他にいなかったので、とことん付き合いました。「笑いは緊張の緩和です」と言うから「そらそうやろな」と答えると、必要以上に緊張させる落語をする。あちこちで仕掛けるものだから「聞いてる方はしんどいぞ」と言って聞かせたものです。
何をやるにも極端なので、ずっと危うさは感じていました。マクラ(話の導入部)がどんどん長くなるので、注意すると次ぎからピタッとマクラ自体をやめてしまう。落語では筋を説明する「ダレ場」が前半に必ず入るものですが、枝雀はそれが嫌で、前半部をぽーんと飛ばして「ほたらナニかい・・・・」と入り、説明をぐっとはしょるスタイルを考案した。どのネタにもこれを使うものだから、「何でお前はそう極端なのか。今の枝雀を聞きにくる人は、ダレ場も聞いてくれるよ」と言うのに、笑いが二分でも途切れるのが辛抱できないんですな。もっと自分の落語に自信を持ってやってくれればよかったんですが。人生の処し方全般に不器用だった。

●高みをめざし続け

客も楽しませるが、自分も楽しみたい落語だった。そのまま続けても客は大喜びしたでしょうが、本人が納得しない。この数年は閉そく感があったでしょう。うけにこだわり続けると、年を経ても枯れようがない。長生きしたとしても、この型から脱皮し、淡々と語って自分が楽しめればいいというタイプの噺家になれたかは疑問です。
話芸に到達点などありません。その日その場所にきたお客さんと演者がつくる一回きりの「最高」で、二度と同じ物はできない。枝雀はある線に達し、それを越え、また自分を引き戻し、また越え・・・・・・・とやっているうちにうつ状態になってしまったのかもしれません。
枝雀がいなくなって、私は荷物が重くなった。ぼつぼつ楽しようと、仕事の半分ぐらいを任せかけていた時だったのに。もう私なんか、ムチ打ってもあきまへんわな。なのに、そうもいかなくなってしまいました。 (談)

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